不確定な未来─4

2010年03月31日 09:46

4.不確定な未来─だるまや


「今日の予定に変更はありませんよね?」
「……ないよ。お前が頑張ればよほどのアクシデントがない限り、普通に終わるはず」
「そうですか」

だるまやに行くと決めた日。
いきなり遅刻するとかキャンセルするなどいう事は避けたいと思う蓮は朝から社に今日の予定について何度も確認を取る。
そして、自分が予想以上に緊張している事を知った。

(行く事に躊躇はない。寧ろ早く行きたい。……なのになんでこんなに緊張するんだ)

だるまやに行くのは今日の仕事が終わってから、ちょうど閉店間際に顔を出すだけになった。
仕事が始まる前、現場に向かう途中の車内で蓮は既に緊張してハンドルを握る手に汗までかいていた。
今から緊張してどうする、と思うものの、どうしても考えずにはいられない。
朝から難しい顔をしている蓮に助手席の社が声を掛けた。

「なにお前、朝からピリピリしてんの?」
「ピ、ピリピリなんでしていませんよ?」
「してる。なんだか落ち着いてないし」
「…………」

わかってて聞いてるんじゃないのか、と思い、蓮はつい恨めしげな目で社を見てしまう。
社はさも今気が付いたかのように、ニッと笑って蓮の方に振り向いた。

「あぁ、そうか、今日の夜、だるまや行くんだったよな。それでか」
「…………」
「まぁキョーコちゃんにとっては親みたいなもんだもんなぁ。ははは、緊張してるんだ」
「笑わないで下さいよ……」
「あーごめんごめん。でも俺も一緒に行きたいなぁ、だるまや」
「なっ、なんでですか」
「いや、だって見たいんだもん、あそこの大将とお前が話すとこ」
「見たいんだもんって……」
「あれだよな、お嬢さんを私に下さい!って奴みたいなもんだろ?いやー見たい見たい」
「社さん……」
「下さいもなにも、もう手出しちゃってるのになー。……ぶん殴られたりして」
「…………」
「顔だけは避けてもらえよ?仕事に支障がでる」
「や、社さん……」
「やっぱり俺も行こうかなぁ。その辺は俺がフォローして…」
「絶対来ないで下さい」
「なんだよ、そんなに怒るなよな~。冗談だよ、さすがに殴られやしないだろ」
「……だといいんですが」
「真面目に話せばちゃんと分かってくれるさ。いつもの『敦賀蓮』で行けばいいじゃないか」
「無理です……」
「なんだよ、いきなり行く前から仮面崩壊か?」
「なんですか、仮面って。余裕がないだけですよ……」
「まぁ気持ちはわかるけどなー。でもこればかりはお前が頑張らなきゃ」
「…わかってますよ」
「まー、今日の夜、仕事終わってからだろう?今から緊張するなよ。仕事はちゃんとしろよ?」
「もちろんわかってますっ」

最後にはつい、むきになって強い口調で返事をする蓮に、社は声を出して笑っていた。





「……呼び出して悪かったな。あんたも忙しいんだろ?」
「い、いえ、そんなことはありません」

急に大将から声をかけられ、蓮は声が上擦らないようにするので精一杯だった。
俳優としてのキャリアなどどこかへ消え、緊張を隠す事さえできない。

閉店直前のだるまやにはもう客も居らず、店の中には大将と蓮、二人だけだった。
女将とキョーコは大将に言われて、奥の部屋に引っ込んでしまっている。
しんとした店内で、カウンターに座っている蓮はこれまでに感じた事のない緊張感に包まれていた。


自分を前にして、あからさまに緊張する男を見て、大将は今まで蓮にイメージしていた印象が変わっていくのを感じた。

(なんだ……もっと図太いというか、余裕のあるしたたかな男だと思ったんだがな…)

キョーコからその名前を聞いて以来、大将は今日まで、TVなどで蓮の事を注意深く見るようにしていた。
いつも穏やかな笑顔で誰にでも愛想のいい、どんな時でも崩れない蓮のそのスタイル。
色々と手馴れているな、と思った大将は「敦賀蓮」が気に入るどころか、少し危機感を持ってさえいた。
芸能界の事などには興味もなく疎い大将ではあったが、一朝一夕で生きていけるようになる世界ではない事くらいはわかる。
人気があればあるほど、雑音も多くなり、些細な事で叩かれ、観衆の目に見えないような失態であっという間に消えていく。
そんな世界で長い期間、一定の地位と人気を維持し、悪い噂もない「敦賀蓮」という男は、芸能人としては評価できると思った。
しかし、キョーコの付き合う相手としてはどうか、と考えていた。
キョーコにはもっと、素朴で、裏表の無い純粋な男がいいはずだ、と考えていたのだ。

(これが素なのか……?)

不躾な視線をぶつける自分に、目を合わせる事も、うまい言葉で適当な会話も始められず、唯ひたすら緊張して冷や汗さえかいている。
相手は俳優、害のない男、という演出でもしているのかと穿った見方までしてみたが、それならば見た目通りもっと落ち着いた大人の男でもいいはずだ。
おどおどとして落ち着かない様子の蓮を見て、大将は軽く苦笑いをして「まぁそんなに硬くなるな」と言った。

「あ、はい…」
「別にとって食おうってんじゃねえんだ」
「はい」

聞き分けのいい子供の様に素直に返事をするだけの蓮の様子に思わず顔を綻ばす。
昨日まで抱いていた「敦賀蓮」のイメージが消え、大将の中から妙に入っていた力が抜けた。

「まぁ…あれだな、俺はあいつの親でもねぇし、細けぇ事にいちいち口を出す権利なんざないとは思ってるんだが…」
「いえ、そんな事はないと思います」

急に真面目な顔ではっきりとそう言ってくる蓮を見て、大将は少しだけ困ったような顔で口の端を上げる。

「ふん。まぁ所詮親の真似事みてぇなもんだよ。勝手にこっちが娘みたいに思ってるだけだ」
「彼女は…本当の親以上に、あなたを慕っていると思いますよ」

真面目腐って真っ直ぐ自分を見てそう言う蓮の様子から、キョーコがどんな風に自分をこの男に語っていたのかを悟った大将は、照れくさい気持ちを隠すように今度は自分の方から目を逸らした。

「そうか。それなら心配のし甲斐もあるってもんだな。……じゃあ聞いとくが、ちゃんと真面目に付き合ってるんだろうな?」

答えは聞くまでも無いな、そう思った大将だったがやはりちゃんとした言葉が欲しかった。

「それはもちろんです」

相変わらず真剣な顔で蓮はそう答える。
大将はその言葉を聞くと、何かの責任を果たしたような気分になり少し安心して、さっきからずっと硬いままの蓮を少しは解してやろうかと、軽口を叩く。

「真面目に付き合ってるんならそれでいい。今時、堅苦しいことは言わねぇよ……やれ、手を出すなだの、責任を取れだのなんてな……まだお互い若けぇんだし」

そこまで言ったところで、大将は蓮の表情が一気に曇っていくのに気が付いた。
思わず、そんな蓮の様子に目が釘付けになる。

「そうですね……彼女はまだ未成年ですし……」

そう言って、声も無く無理矢理笑う蓮の顔からは悲愴感さえ漂っていた。
その様子に少し驚いた大将は「おいおい、そんな顔するんじゃねえ」と慌てて声を掛ける。

「いや、すいません…」

崩れてしまった自分に気が付いた蓮は慌ててそれを隠すように横を向き、手で顔を覆う。

「……なんだ、随分と自信がないんだな。……芸能界じゃ一番イイ男なんだろ?」
「そんなもの、なんの意味もありませんよ」
「少しぐらい自慢してもいいだろう……意外と情けねぇ男だな」
「す、すいません」
「……あいつは付き合ってる男には冷たいのか?」
「そ、そんな事はありませんっ」
「じゃあ、いいじゃねぇか。なんでそんなに悲観してるんだ」
「こ、これは俺が勝手に」
「あいつは根性もあるし頑固だ……簡単に他の男になびいたりしねぇだろ」
「そ、それはもちろん信用していますよ」
「だったら、なんだってんだ」
「…………」

大将の最後の言葉に、何か言いたげに、しかし言い淀む蓮。
そんな蓮の様子を見て、初めて大将は自分がキョーコの本当の親ではないという事を心の底から残念に思った。


蓮が帰った後、まだ板場にいた大将の元にキョーコがおずおずと顔を出した。
その姿を認めた大将は「なんだ、明日も早いんだろ。早く寝ろ」と言ったがキョーコは何か言いたげに曖昧に笑って大将の方を見ている。
大将はしばらく黙ってそんなキョーコを見ていたが、ふいと視線を逸らしながら
「大事にしてやんな」
と、小さく言った。
「え?」
予想していなかったらしい大将の言葉にきょとんとしたキョーコに、大将は続けて
「どうせ、こそこそ会うくらいしかできねぇんだろ?たまにはここに連れて来い……ここなら気使わなくて済む」
と、ぶっきらぼうに言った。
キョーコはその大将の言葉を聞くと、安心したようににっこりと笑い
「はい!」
と、元気よく返事をしてから就寝の挨拶をし、嬉しそうに自室へと戻って言った。

そんなキョーコを見送った後、板場に入ってきた女将は
「なに、あんた……随分と敦賀さんが来る前とは違うねぇ」
と、少し面白そうに言いながら近づいてきた。
そんな女将を一瞥した大将は仏頂面で
「男ってのはな、案外繊細で弱いもんなんだよ」
と、ぼそりと呟いた。
「えぇ?なんだい、それ」
「うるせぇ、お前にはわからなくていい。……風呂沸いてんのか、入るぞ」
そう言って店の灯りを落とした。




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