不確定な未来─3

2010年03月31日 09:34

3.不確定な未来─Ren


「猶予を与える方にもそれなりに覚悟がいるんだよ」

そう言って、少し意地悪く笑ってみせる。
ほんの一言で自分をこんなにも翻弄する彼女が少し憎らしくさえあった。
もう既に自分の身体の半分以上は彼女の成分で出来ているような気もする。
半分よりも寧ろ全部だったら、彼女の気持ちが全部わかるのに、とさえ考える。
どんなに頑張ってみたところで、全てを把握する事なんて永遠にできない。

彼女が隠した言葉のせいで、また眠りが遠くなった。
それでも彼女の意志は尊重したい。
しかし、つい、子供のように我侭な自分が顔を出し、少しだけその恨みを込めてお約束のような笑顔を作る。
いとも簡単に自分の心臓を鷲掴みにする彼女に対するほんのちょっとの意地悪、それだけだったのに───

彼女の涙を見て、血の気が引く。
心臓が鷲掴み、どころか今にもその動きが止まりそうになる。

「キョーコ?」

名前を呼ぶのだけで精一杯だった。
流れ落ちる彼女の涙を見ながら、全身が強張っていき、体温まで下がっていくのが分かる。
何か取り返しのつかない事でもしてしまったのではないかと恐ろしくなる。
彼女の涙の理由を探るため、自分の行動を大急ぎで振り返る。

そもそも、こんな時間に一人起き出している事自体がおかしいじゃないか。
逆の立場だったらどうだろうか。

深夜、目覚めた時、隣に彼女の姿がなかったら───

急に姿を消した俺に…不安を感じさせてしまったのかもしれない。
相変わらず成長していない自分を死ぬほど後悔した時。

「ご、ごめんなさい、なんでもないんです。疲れてるのかな……もう寝ますね」

涙を拭いながら、彼女がそう言ってその場から去ろうとした。
冗談じゃない、とばかりに彼女の腕を掴んで引き止めた。
このままじゃ眠れない、どころか明日以降の自分の生活にさえ自信がもてない。
ごめんね、俺が悪かった───様々な謝罪の言葉が頭の中を駆け巡るが、言葉にする事ができない。
その機能を失ったかのように、冷たくなった唇で辛うじて息をしているだけ。
そうして何も言えないまま、彼女を抱きしめる。
冷たくなった指先の震えを隠すように、不器用に力ばかり強く、何も言えないまま、ずっと抱きしめる。

彼女から感じるその体温でようやく機能を取り戻しだした、自分の身体。
俺に抱かれたまま、じっとしている彼女の様子に安堵して、少し力を抜く。
そして、立ったまま俺に抱かれていた彼女の身体を横向きにそっと抱き上げて膝の上に座らせた。

「つ、敦賀さん」

少し驚いている彼女に、いまだ、動揺している自分を強引に押し殺して不適に笑ってみせる。
どんな仕事の時よりも研ぎ澄まされた自分の役者っぷりが可笑しくなる。

「猶予は取り消し」
「えっ」
「その間に俺が死ぬ」
「なっ」
「ごめんね、我侭なのは分かっているけど今聞かせて?」

彼女の瞳の中に現れる狼狽と迷いの色。
俺から視線を逸らし、まだ言い淀む彼女の様子に冷静な自分が揺らぎ始める。

まだだ、まだ崩しては駄目だ。

腕の中にすっぽりと納まってしまう華奢な少女に俺はなんだか必死だ。
朝が来るまでこのまま離さない勢いで彼女を真剣に見つめる。
自分でも面倒な男だと、分かってはいるが折れる事ができない。
そんな俺に恐れをなしたのか、やがて彼女は諦めたように少し目を伏せて口を開いた。

「あの…ですね」
「うん」
「一度、でいいので、だるまやに来ていただけないかと…」
「え?」
「あの……私が誰かと付き合っている事をお二人が気にしておられまして」
「あ…」
「で、できればお二人には隠したくないと思いまして……」
「そうか……」

散々、彼女に弁当を作らせたり、電話をしたり、だるまやの近くをウロウロしてきた。
外泊だって、数が増えている……前とは様子が違う彼女にだるまやの二人が気が付かないはずがない。
本当の親……以上に彼女が慕っている二人。
今までどんな言い訳をして来たのだろう。
こんな事は俺から言い出した方が良かったはずだ。
少し強引な位の勢いで俺から紹介してくれ、とでも言えば彼女の負担にはならなかったはずなのに。
気の回らない自分に改めて気がついてがっかりする。

不安げに俺を見つめる彼女の額にキスをひとつ。

「いつがいい?」
「え」
「時間は早いほうがいいのかな?その辺は社さんと相談しないと」
「あっ、あの、お店の閉店間際にでも来て頂いて、少しだけ顔を出していただければそれでいいんです!」
「そんなのでいいの?」
「ちらっと会って頂けるだけで、本当に!」

なんだか焦っている彼女。
しかし、俺はさっきまでの暗い気持ちなぞすっかり消え去ってしまって、これから数日のスケジュールに頭を巡らせる。
できればちゃんと時間をとって行きたいが、それよりも早く会いに行く事のほうが大事だろうか。
そんな事を考えていると、いつの間にか彼女の中から暗く落ち着かない表情が消え、安心したように俺を見つめている事に気が付いた。

「……明日、ちゃんと決めるね。今日はもう寝ようか」
「はい…」

俺がそう言うと彼女はにっこりと何の翳りもなく笑った。

さっきの涙の理由は、はっきりとは分からない。
でも、もしかしたら俺が夜中に起き出した理由と同じなのかもしれない。
そう考えたら……なんだか幸せな気分になった。
彼女を泣かせておいて、ひどい男だと自嘲しながら。

彼女をそのまま抱き上げて、TVを消し、リビングの灯りも消す。
そして一緒に寝室へ向かう。
今度こそ幸せな眠りにつくために。




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