1.噂

2010年02月06日 01:41

1.噂

「おはよう」
「…おはようございます」

あからさまに不機嫌な顔をして挨拶する蓮に苦笑いを浮かべながら、社は助手席に乗り込んだ。

「ここだと交通量が多くてちょっと危ないか。明日はもうちょい横道にそれるか」
「…そうですね。明日もこっち方面でしたよね…」

車が途切れず、なかなか車線に戻れなくて少しイライラしているらしい様子の蓮が後方を見たままぶっきらぼうに答えた。

「まーそんなにイラつくなよ。弁当は持ってきてやってんだから。キョーコちゃんの様子は変わりなかったよ」
「そうですか…いつもすいません」
「いいさ、別にたいした手間じゃないからね」

キョーコの名前を聞いて、表情が和らいだ蓮を見て、社は少しほっとする。

ここ数日、朝、社と蓮が落ち合う場所は一定していなかった。
朝一番で向かう現場によって微妙に変わっているのだが、そこが蓮のマンションでもなくだるまやでもないのには理由があった。

───敦賀蓮に女がいるらしい

それはまだTVのワイドショーで報道されたわけでもなく週刊誌に載ったわけでもない、業界内で密かに囁かれている程度の噂だったが、社と蓮がそれを知らされた頃にはかなりの範囲で広まっていた。
事務所で俳優部の主任からそれを聞かされた二人は、すぐにそれはキョーコのことだと思い、まず一番にキョーコの身を案じたのだが、その噂にキョーコの名前は出ておらず、主任からは「本当に誰かと付き合ってるのか?」と聞かれ少し拍子抜けしてしまったくらいだった。
そこで今後のことを考えて、蓮は社長と主任にはキョーコとの関係を報告することにした。

蓮の話を聞いた宝田社長は
「なんだぁ?例の噂はホントなのかよ!お前、いつの間に」
と驚いたが、すぐに
「まったくこそこそ隠してやがって…後で詳しく聞かせてもらうからな!」
と上機嫌で散々蓮をからかっていた。
しかし、すぐに蓮の噂の問題に話を戻し
「今、最上君の名前がでるのはまずいぞ。彼女のことを思うなら、しばらく自重しろ」
と二人きりで会うのを禁止されてしまっていた。

蓮としても、変に騒がれてキョーコの仕事やプライベートに影響を出すことは避けたかった。
まだ未成年でもあり、俳優としてもタレントとしても新人であるキョーコがマスコミへの対応などに慣れているはずもなく、いずれは堂々と、とは思いつつも今はまだ公表するべきではないと蓮は考えていた。

キョーコはキョーコで「わ、私の名前なんかでたら敦賀さんにご迷惑をっ…」などと恐縮し、蓮は「それは違うから」とキョーコを言い聞かせながら、そのまま事に及ぶ…など、噂のせいで二人の仲に悪影響は出なかったが、それから後は二人で会うのを止め、弁当は社がだるまやまで受け取りに行き、その後適当な場所で蓮と合流という形になり、忙しい中、確保されていた毎朝のささやかな逢瀬までもが取り上げられ蓮の機嫌は日々悪くなる一方だった。

「いつまで自重していればいいんですかね…」

今度は不機嫌に、ではなく心の底から寂しそうに溜息交じりでそう呟く蓮を少し気の毒に思う社は
「まぁそのうち噂も収まる…だろうから…もうちょっと頑張れよ」
と慰めてみたものの、一向に収まる様子のない蓮の噂に少し違和感を感じていた。

蓮がキョーコのことを考えて、きっぱりと二人きりで会うのを止め、二人を繋ぐのは電話のみ、という状態の現在、「敦賀蓮」の身辺はそれはそれは綺麗なものだといういのに、噂は収まるどころか加速する一方だった。
そして内容は女がいるかどうかより、相手が誰であるか、というのが主流になっている。
蓮がいままで共演したことがある女優の名前やタレント、それともどこかのスタッフか一般人か、など多種多様で特定の誰かが名指しされることはなく、キョーコは名前が挙がることさえなかったが、それが返って社に疑問を抱かせた。

(蓮がキョーコちゃんと一緒にいるところを誰かに見られた、とかが噂の元だと思ったんだけど、それだったらもうちょっと具体的な話にならないか?)

キョーコの名前が出るまでは行かなくても、若い娘だったとか、茶髪の、とか、高校生らしい、とか、いろいろありそうなものなんだが、と社は思う。
そうじゃないということは、誰かが本当に憶測だけで言い出したのだろう、と考えられるのだがそれにしては話が広がりすぎだし、長引きすぎだ。

(なんか、やな感じなんだよな…)

蓮のマネージャーである身ではなかなか動くことができないため、事務所のスタッフに噂の元を調査することを頼んでいるのだが、自分で行動できないのを歯痒く思う社だった。



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