招かれざる客─3

2012年08月31日 00:15

招かれざる客─3




「お疲れ様」

蓮はキョーコの頭を労わる様にしてポンポンと軽く叩き、優しく微笑んだ。
しかしキョーコはどこか不安げな表情で蓮をじっと見つめている。

「ん? どうかした?」
「あの……私、ここで暮らしてるっていうのを」

アイツには堂々と言った方が良かったのかも知れない。
落ち着いた所で、キョーコの中にそんな想いが広がった。
思い出したくない過去に触れられないようにするため、誤魔化してしまったのをキョーコは少し後ろめたく思っていた。

「いや、あれでいいと思うよ。彼に教えたっていい事なんて何もないからね」
「そう……ですよね」
「これから狙ってここに押し掛けられるようになっても困る。まだキョーコは時々来ている程度に思ってもらう方がいい」
「えっ……あ、そ、そうですね……」

蓮の言葉に、キョーコは動揺した。
何かある度に周りの迷惑を顧みずどこへでも姿を現した尚。
再び、わけの分からない理由を引っ提げてここに現れるかもしれない。
今の時点で既にその可能性があり、もし、自分がここで暮らしていると知られていた場合、その確率は高くなっていたと思えた。
蓮に言われてキョーコは初めてその事に気が付いた。

(やだ、私、自分の事ばっかりだった……)

今日のマンションの前での小競り合いも、かなり危険なものだった事を思い出す。
それなのに自己保身しか頭になかった自分に幻滅し、キョーコは激しく落ち込んだ。
項垂れているキョーコを見て、蓮は困ったような顔で笑いかけた。

「明らかにつけてくる方がおかしいんだから、キョーコがそんなに気にする事はないよ」
「……はい……」

素直にそう返事はしたものの、キョーコの表情は暗いままだった。
蓮はキョーコをソファに座らせると自分も隣に座り、キョーコの気を紛らわせようと少しだけ違う話題を振ってみた。

「今日の……収録はどうだった? うまくいったんだろう?」
「え……あ、はいっ! 今日はですね、もう、台本通り……超完璧だったんですっ!」
「そっか」
「それでもう、嬉しくて……」

帰ったらすぐにでも報告するはずだった事を思い出し、ぱっと明るい笑顔になったキョーコだったが、それもまたすぐに消えて行く。

「浮かれていたので……アイツに気づかなかったんですね……」

再び暗い顔になり、キョーコはずぶずぶと深く沈んでいく。
蓮は慌てて言い聞かせるようにゆっくりと話し出した。

「つけてくる方がおかしいって言っただろう?」
「でも……」
「変装させて、その上、後をつけて来る人間がいないかどうか注意してなんて……そこまでさせたくない」

言葉の途中で蓮の顔にふっと陰りが生じる。
キョーコはハッとして蓮の腕に強くしがみついた。

「アイツの言った事、気にしたりしてませんよね?」
「えっ……」
「変装するのなんて、もうすっかり慣れっこなんですよ?」
「あ、うん……」
「…………」

言い淀む蓮の様子がキョーコの中に再度暗い影を落とす。
芸能人としてなら蓮が尚に劣る事など何一つ無く、尚が何を言おうと歯牙にも掛けなくていい。
しかし、自分の事が絡むとどうしても蓮は微妙な立場に立たされる。
尚の嫌味に何も言い返さなかった蓮を思い出し、キョーコはなんだか泣きそうな気持ちになった。
蓮の腕からそっと手を離し、じっとテーブルを見つめる。
うまい言葉を見つけられず、キョーコはただ俯くだけだった。
そんなキョーコの肩に、蓮がそっと手を掛ける。
キョーコが顔をあげると、自分を見つめる蓮のどこか思い詰めた様な表情が目に入った。

「敦賀……さん?」

蓮はそのまま、キョーコを強く抱き寄せた。

「…………」

キョーコを抱いたまま、蓮は何も言わない。
ただ、その腕の力だけは強く、キョーコは苦しい位だった。
戸惑いながらも大人しく身を任せていたキョーコだったが、長く続く沈黙に異変を感じ、じわじわと不安が湧き上がって来た。

──やっぱり何が起こるかわからないから、一緒に暮らすのは止めよう

自分で想像した蓮の言葉に心臓が止まりそうになる。
額に冷や汗が滲んだ。
それは別れの言葉などではなかったが、キョーコにとっては同じ位の衝撃がある。
ここを離れる事など、もうキョーコには考えられなかった。
しかし、また今日の様な事が起こるとしたら、何が何でもここに居たいと思うのは自分の我侭だと思えた。
これ以上は無理と蓮が判断したのなら自分はそれに従うべき。
自分が蓮にとって厄介な存在ではないかとまで思い始めたキョーコはそう覚悟を決める。
まるで絶望の淵にでも立たされたような気分にキョーコがなっていた時、蓮がようやく口を開いた。

「キョーコ」
「はいぃ!」

驚いて、びくりと身体を揺らしたキョーコを、蓮はそっと覗き込む。

「な、な、なんでしょうか……」

狼狽えてビクつくキョーコに、蓮は真面目な顔で妙な事を言い出した。

「この部屋……家具が少ないと思わない?」
「へっ?」

まったく想定していなかった蓮の言葉に、キョーコの頭は真っ白になった。

「もう少し何かあってもいいと思うんだ」
「え? あ、そ、そうですか? ええっと、えっと、そんな事は」
「空いている場所がたくさんある」

キョーコは思わず部屋の中をキョロキョロと見回し、なぜ今急に家具の話なのかと首を傾げながら、とりあえず素直に思ったままを答えていく。

「うーん……でもすっきりしていていいと思いますけど」
「少し殺風景じゃないかな」
「そうでしょうか……敦賀さん、欲しい家具でもあるんですか?」
「キョーコ好みの家具が欲しい」
「はっ?」

自分の好み、と言われ、キョーコの頭の中にポンといくつか候補が浮かぶ。
所謂、姫系と呼ばれる、華やかな色と装飾のドレッサー、チェスト、猫脚の椅子やテーブル、そして天蓋付きベッド。
しかし、そんな家具達はどう考えてもこの部屋では浮いてしまうと思った。

「あの、何て言いますか、この部屋には……びっくりする位合わないと思うんです」
「そうかな? そうだとしても別に構わないよ」
「私が構います……そんなの置いたらきっと毎日居た堪れないです」
「じゃあ、ゲストルームに置いてみたらどうだろう」
「……リビングの話じゃなかったんですか?」
「…………」

キョーコの素朴な疑問で蓮は再び黙り込み、何かを真剣に考え始める。
そんな蓮の横顔をじっと見つめ、キョーコは緊張しながら次の言葉を待った。
どういう話の流れなのか、いまいち把握する事が出来ず、緊張して落ち着かない。

(なぜこんな話に……アイツ、この部屋の家具に文句でもつけたのかしら……)

尚の言う事などいちいち真面目に受け取るべきではないと、キョーコは蓮に言いかけた。
しかし、その前に蓮は顔を上げてキョーコの方を向き、その長い指をキョーコの髪にそっと挿し入れてさらさらと何度も梳いた。

「敦賀さん?」
「……今度、ミス・ジェリーウッズに会いに行こう」
「え?」
「キョーコに似合いそうな髪形で……これ以上は無いって位良い物を手配して貰う」
「へっ?」

やはり話が見えないキョーコがポカンとしている前で、蓮は一人でどんどん何かを進めていく。

「どんなのがいい? ロング……いや、ショートだっていいと思うよ……ひとつだけじゃなくいろんなタイプを」
「ウィッグ……ですか? な、なぜ急にそんな」
「それに合わせて服も……そうだね、スーツの方が安心ならそれでもいいけど、キョーコの好み中心にして」
「えぇ? あの、服はですね、もう充分すぎる位あるので」
「足りない」
「敦賀さん……」

ぶつぶつと呟きながら、蓮は再びまた何かを考え込み始める。
その横で、キョーコは先日うっかりクローゼットを整理整頓してしまった事を思い出した。
キョーコを死ぬ程驚かせた、下の階に在る"一部屋丸ごとクローゼット"。
このままでは大変な事になると考えたキョーコは、部屋の中に派手なディスプレイを施して店の様にしてみたり、空き箱などをどうしても捨てられないのだと言い張って積み上げてみたり、思いつく限りに無駄にスペースを使ってしまう努力をしていた。
結果、服以外のガラクタと言ってもおかしくない物が妙に増え、室内は混沌とした状態になっている。
しかし、それが功を奏したのか、知らない間に物が増えているという事はなくなっていった。
安堵したキョーコはもう大丈夫だろうと思い、こっそりと一部を片付け始めていた。
そうして出来た空きスペースがあっという間に大量の衣服で埋まる図を想像し、キョーコはさっきとはまったく違う種類の絶望の淵に立つ。
だが、この話は要するに、自分の変装技術をもっと高めるべきだという話なのだと今度はちゃんと理解できた。
蓮は二人の生活を終える事は考えていない。
それが分かり、心配が杞憂に終わった事でキョーコの顔は自然と綻んでいく。
携帯を取り出し、何かを調べ始めた蓮に、今度はキョーコの方から抱きついていった。

「キョーコ?」
「…………」

何も言わずにぎゅっと自分を抱きしめるキョーコに、蓮は少し驚いたが、携帯を横に置き、再びそっとその身体を抱いた。

「どうした? 服が増えるのが嬉しい?」
「ちっ、違いますっ!」

思わず顔を上げたキョーコの頬は心持ち紅潮し、その目はうっすらと涙で滲んでいる。
緩みきっていた蓮の顔が、それを見て真顔に戻った。

「何……本当に……どうかした?」

その涙を指で拭いながら蓮は心配そうにキョーコに涙の理由を尋ねる。

「あの……ええと……出て行けって言われたらどうしよっかなぁ……なんて」

キョーコは少し照れたように笑い、できるだけ冗談めかして言った。
だが、蓮はまだ真顔のままだ。

「それで……泣いたの?」
「えっ? いえ、違いますっ……そうじゃなかったからよかったって」
「そう……」

蓮はキョーコの頬を手で包み、そっとその瞼に唇を寄せる。
いつもと同じ熱と優しさがキョーコを安心させた。

「俺も思ったよ」
「えっ?」
「俺に迷惑がかかるから出て行きますってキョーコが言うんじゃないかなって」
「そ! それは……」
「その場合はだるまやに戻るのが最善だと思うけど、そうなるともう二度と返してもらえない」
「へっ?」
「前以上に会うのが厳しくなると思う。それは本当に困る」
「あ、あの」
「俺は我侭だから、キョーコに無理をさせても、面倒な事になったとしても、離れたくない」
「…………」

仕事の話でもしているかのように蓮の口調は事務的だった。
しかし、その熱烈とも言える内容に、キョーコの顔はかっと熱くなる。
何があっても一緒にいたい、という自分と同じ我侭を蓮が通そうとしているのを知り、嬉しくて仕方なかった。
赤面しながらも何か言わなくてはと焦るキョーコに蓮は少し意外な言葉を続けた。

「だから……そんな事言う暇も考える余裕も無い位に……物量攻めにしてやろうと思ったんだ」
「は?」

きょとんとしたキョーコに、蓮は不敵にニヤリと笑う。

「よく考えれば今だって、もう、キョーコが出て行くとしたら……トラック一台じゃ間に合わない気もするし」
「ええっ?」
「キョーコの物は全部持って行ってもらわないと……勿論、賑わってる下の部屋にある物も」
「えっ、だってそんなっ……い、頂いた物は置いていきますよ?」
「俺の部屋に女性物の洋服とか靴とか置いていかれても困る」
「こまっ、困るって言っても……あの量は無理です無理っ」
「だとすると……俺やミス・ジェリーウッズがキョーコのためにって選んだ物は皆……ゴミになってしまうんだね……」

蓮はそう言って心底残念そうに溜息をつく。
キョーコは顔色を変え、呆然とした様子で固まってしまった。
そんなキョーコをチラリと見た後、蓮は吹き出しそうになるのを堪えながら、固まったままのキョーコの頬をぐにゃりと摘んだ。

「こら」
「ふぇ」
「出て行きたいの?」
「えっ、あっ」

ようやく我に返ったキョーコを見て、蓮はくすくすと笑う。
キョーコはぷくりと頬を膨らませて口を尖らせた。

「もうっ……敦賀さんが変な冗談言うからですっ」
「いや、別に冗談じゃないから」
「……っ」

蓮がさらりと言った台詞にキョーコは驚いたように絶句し、何か言い返そうとして口を開く。
しかし、すぐに諦めたようにその口を閉じ、目を横に逸らした。
蓮はどこか嬉しそうに、そんなキョーコにそっと顔を寄せていく。
そして、唇を近づけようとした瞬間、ふいにキョーコの視線が戻ってきた。

「ホントは……」
「え」
「ホントは……嬉しいんです、そういう敦賀さんの困った我侭も……」

恥ずかしそうに下がった眉と潤んでいた上目遣いの瞳を、薔薇色に染まった頬と唇が可憐に飾る。
至近距離で飛び込んできたその表情と、体の奥が疼くような甘い声音の囁き。
絶妙なタイミングで現れたそれらに、蓮はなす術もなく、ただ釘付けになるだけだった。

「…………」

キョーコと一緒にいた尚の姿を見つけた時点から今この時までの間、何度も崩れそうになりながらも蓮はなんとか冷静さを保っていた。
でも、これだけは無理だと、心の中であっさり白旗を上げる。

「……降参」
「え……」

苦笑いをひとつで、優しくするはずだった口付けは熱く激しいものへと変更された。
ソファの上に二人で雪崩れ込んだ時、テーブルの上で隣合っていたグラスが揺れて触れ合い、透明な音を響かせた。


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