招かれざる客─2

2012年08月30日 17:43

招かれざる客─2



夢だったらいいのに──

キョーコは自分の目の前の光景を見てそう思っていた。
蓮のマンションのリビングにいる、自分と蓮、そして──尚の姿。


「人が来たから強引に追っ払う事ができなくてね……騒ぎになっても困るし」

蓮は不本意ながらも尚を部屋に連れてきた経緯を語り、深い溜息をつく。
それに気づいたキョーコは大慌てて頭を何度も下げた。

「もっ……申し訳ありません! 私が……私が迂闊なせいで」
「いや、どう考えてもついてくる方がおかしいから」
「でも……」
「今日は収録が一緒だったんだろう? そのせいかな……まったく、油断も隙も無い」
「…………」

キョーコは収録を完璧にこなし、浮かれていた自分を思い出す。
どう考えても隙だらけだった自分を思い出し、その至らなさに心の底からがっかりして肩を落とした。

「ほら……キョーコのせいじゃない、落ち着いて」

落ち込んで俯くキョーコと、それを宥めようとする蓮。
その横で尚は一人ソファに踏ん反り返るように座り、ブツブツと独り言のような文句を言っていた。

「なんなんだよ、この馬鹿でけぇ部屋はよぉ……本当にむかつくな……」

そう言って部屋の中を見回す尚を、キョーコは般若の様な顔で睨みつける。
いつも二人で座るソファに尚がふてぶてしく座っている光景は正に悪夢としか思えなかった。
今日の収録の時でさえ目覚めなかった、キョーコの中で深い眠りについていた小さな分身達が、むくむくと動き出そうとする気配を感じる。
もう細かい事は気にせず、今すぐにでも全力で尚を叩き出してしまうべきでは。
キョーコがそう思った時、尚は二人に視線を向け、口を開いた。

「わざわざ変装させて女通わせるとか……人気者は大変だな」

尚の言葉に、蓮の眉がぴくりと上がる。
キョーコは一瞬ドキリとし、胸元には汗が一筋流れ落ちた。
マンションの出入りに変装する事に、キョーコはなんの不満もない。
しかし、それをいつも蓮が気にしている事をキョーコは知っていた。
蓮からなんの反撃の言葉もない事に我慢できなくなったキョーコは着けていたウィッグを勢いよく外しながら尚に食ってかかった。

「私がやりたくてやってんのよっ。アンタが口出す事じゃ」
「何がやりたくて、だ! そんなスーツなんかお前の趣味じゃないだろ?」
「趣味だろうが、そうじゃなかろうがどうでもいいでしょ! 物事にはTPOっていうのがあるのよ!」
「なーにがTPOだ。ただでさえ地味なお前に地味な服着せる時と場所がここってわけだ……ごくろうなこった!」
「アンタ……また地味って言ったわねっ」
「おお、何度でも言ってやるぜ! 鶏かぶった地味な女だってな! 男ができてもちっとも変わらねえ!」
「なんですって!」

「キョーコ」

ぽんぽんと言い合いをするキョーコと尚に割って入るかのように蓮がキョーコに声を掛ける。
呼ばれて我に返ったキョーコが見た蓮には、すぐに見て取れるような怒りの色はなかったが、傷一つない氷のような冷たい表情をしていた。

「敦賀さん……」
「とりあえずここに来てもらったけど……特に用もないようだし、不破君にはもう帰ってもらったほうがいいんじゃないかな……」
「そっ、うですよね……ほら、アンタ、さっさと帰りなさいよ」
「なんだ、客に茶も出さねぇのかよ。無駄にでけぇ部屋に住んでるくせによ」
「なにが客よ……呼んでもないのにノコノコ現れたくせにっ」
「部屋に来いって言ったのは敦賀サンだぜ」
「あんな所にアンタにうろうろされたら迷惑だからよ!」
「へぇ……じゃあ、あそこで歌でも歌って行くか」
「なっ……」

尚の憎まれ口に、怒りに震えながらキョーコは立ち上がった。

「出せばいいんでしょ! お茶でもなんでも!」

ドスドスと足音を立てながらキッチンへと向かうキョーコを尚が呼び止める。

「おい。なんでお前がやるんだ」
「えっ」
「ここは敦賀サンの部屋だろ? お前だって客じゃねえか」

尚の言葉は蓮への軽い嫌がらせの意味合いでしかなかったが、蓮とキョーコに僅かに緊張の色が走る。
しんとしてしまったその場を打ち消すように、キョーコは大きな声で尚に悪態をついた。

「……あんたに出すお茶を敦賀さんにやらせたりしたら、敦賀さんが穢れるわよ!」
「お前……人を汚物扱いかよ!」

二人の様子に一瞬怪訝な顔をしていた尚は、キョーコの言葉で再び怒りだし、それを確認したキョーコはそのままスタスタとキッチンへと向かって行った。


キョーコがいなくなった後、蓮は、さりげなく視線を巡らせ部屋の中を確認する。
リビングには、キョーコがここで暮らしているのがわかってしまうような物は何も置かれていない。
寝室やバスルーム等になら無いことも無いのだが、それ以外の細々とした私物はいつもきちんと片付けられているか、ゲストルームだ。
それが少し寂しいと感じた事もあった蓮だったが、キョーコらしいとも思え、特に口にした事はなかった。

(黙ってても察する……というのは無いな)

キョーコがここで暮らしている事には気づいていない様子の尚に、全てぶちまけてやりたい気持ちも湧いた。
しかし、そんな事をしても碌な事にならないと思える。
今日とて、自分があと少し帰宅が遅れていたらどうなっていたかわからない。
キョーコが尚に連れ去られて行く図を想像しただけで腸が煮えくり返った。
この場所を知られた事だけでもかなりの痛手だと思った蓮は、尚にはこのままさっさと帰ってもらうのが一番だと考えた。
できるなら、今後、尚がここに寄り付きたくなくなるような手を打ちたい。
そう考えながら、蓮は尚にゆっくり話し掛ける。

「で……不破君はいつからストーカーになったのかな」
「ストーカーだと?」
「今日はここまで彼女の後をつけて来たんだろう? まともじゃないね」
「俺はあいつが何かおかしな事やってんじゃねえかって心配してやったんだよ」
「ふうん……それはどうもありがとう」
「あんたに礼なんか」
「彼女は何もおかしな事などしていない。心配は無用だよ」
「フン……どうだか……こそこそと正体隠して男の部屋に通うような事してんのは……心配の対象になりそうだけどな」
「君に彼女の周りをウロチョロされるほうがよっぽど心配だよ」
「俺はあいつの幼馴染なんでね、それこそそんな心配はいらねえなぁ」
「……よく、そんな事が言えるな……何が幼馴染だ」
「あんたがどう思おうと……その事実は変わらねぇよ」
「……っ」
「幼馴染として俺はちゃんとあいつの成功を願ってやってるぜ? 押しも押されもせぬ大女優になるのはいつだってな」
「…………」
「どうせこうやって頻繁に呼びつけてんだろ? 顔のよく知られている男の部屋に夜な夜な通わされてるのがバレたら……明らかにマイナスなんじゃねぇのかなぁ?」
「貴様……」

淡々と話してきた蓮も、最後には隠し切れなかった怒りを露にし、尚を睨みつけた。
しかし尚は、うまく言い返す事ができない蓮を見て鼻先で笑う。
張り詰めた空気の中、小さな振動音が聞こえ、尚は持っていたスマートフォンを取り出した。

「はい」
『ちょっと尚、一体どこ行っちゃったの?』
「あーごめん、ごめん、今ちょっと取り込み中」
『取り込み中!? あなた今どこに』
「悪りぃけど、もうちょっと待ってて……すぐ終わる」
『終わるって……尚?』

尚は無造作に通話を切ると、立ち上がった。

「帰る」
「あぁ、さっさと帰ってくれ」
「キョーコ呼んでこいよ」
「……必要ない。いいから早く帰れ」
「あいつ連れて帰るって言ってんだ」
「は?」

耳を疑うような尚の言葉に、蓮は気色ばんだ。
それに構わず、キョーコが行ったキッチンの方へ向かおうとした尚の前に、律儀に三人分のグラスが乗ったトレーを手にしたキョーコがやって来た。

「おい、帰るぞ」
「あー、早く帰ってちょうだい。ホント大迷惑」
「お前も帰るんだ」
「はぁ?」

いきなり言われた尚の言葉に、キョーコはポカンとした顔をした。

「下で祥子さんが車で待ってる。送ってもらえばいい」
「……何言ってるのかさっぱりわかんない」
「送ってやるって言ってんだ! 俺が!」
「…………」

キョーコは氷の入ったグラスをテーブルの上に力強く置いた後、険しい表情で尚を睨んだ。

「馬鹿?」
「あぁ?」
「なんで私があんたに送られなきゃいけないの」
「何時だと思ってんだ? 深夜に遊んでんじゃねえよ」
「別に遊んでないけど」
「フラフラと男の部屋に来てんじゃねえか! そんなんでちゃんと仕事やってんのか?」
「やってるに決まってるじゃないの。今日の収録に……何か問題ありまして?」
「…………」
「明日だってちゃんと仕事入ってる」
「だったらさっさと帰れ!」
「…………」

キョーコは急に口を噤んで視線をグラスに落とし、一つ一つゆっくりとテーブルの上に並べていく。
自分がここで暮らしている事を尚は気づいていない。
できるならこのまま気づかせたくはなかった。
ふしだらだの遊んでるだの、罵倒されるだけならまだ我慢できる。
一番嫌なのは昔の事を持ち出される事だ。
一緒に暮らしている、という事から尚が連想するだろうと予想できたのは、キョーコが尚と二人で暮らしていたという忌まわしい過去。
隠している事ではないが、蓮の前で、しかも、尚がその事を口にするような事態は避けたかった。
あの頃と今を、比べる対象にするだけでもキョーコにとっては腹立たしく不愉快な事。
そんな事にならないように、尚には光の速さで、そして当然一人で帰ってもらわなければならない。

「おい!」

黙ったまま何も答えようとしないキョーコに、尚は苛立つ。
そして、乱暴にソファに座り直すと自分の前に置かれたグラスを見て怒鳴り声をあげた。

「なんでただの水なんだよ! コーヒー位持ってこい!」
「あんたなんか水で充分でしょ。水道水じゃないだけありがたいと思いなさいよ」

騒ぎ立てる尚を横目にキョーコは自分が持ってきたグラスのひとつを取り、一口水を飲む。
冷たい水を口に含みながら、隣にいる蓮の様子をちらりと窺った。
微かに感じる怒気。
でも何かを静かに考え込んでいるようにも見えた。

「…………」

キョーコは心の中で静かに気合を入れ、大急ぎで"女優"の自分を引っ張り出した。

「本当にもう遅いから……帰ったほうがいいわよ?」
「お前も」
「どうして私が帰ると思うの? 今夜は泊まらせて頂く事になってるの……子供じゃないんだし、わかるでしょう?」

そう言ってキョーコは少し首を傾げ、にっこりと意味有り気に微笑んでみせた。
突然現れた、余裕のある大人の女の微笑。
尚はそんなキョーコに、怒っているような、もしくは驚いているような、複雑な表情を浮かべて戸惑い、言葉を失った。

「お前……」

その時、二人のやりとりをただ傍観していた蓮が、急にキラキラとした愛想のいい笑顔が浮かべ、口を挟んだ。

「なんなら……不破君も泊まって行ったらどうかな。空いている部屋もあるし」
「なっ」

尚は、蓮の言葉を聞くと激昂し、鬼の形相をして立ち上がった。

「ふざけんな!! 誰が泊まるか!! もういい! 帰る!」
「お疲れ様でした」
「うるせぇ、俺はもう知らねぇからな! そうやって爛れた生活送ってどんどん堕落していくがいいさ!」
「た、爛れたって」

ドカドカと室内に響き渡る足音を立てながら尚はリビングを出て行く。
乱暴な玄関の扉の開閉音を聞いた後、ようやく静かになった部屋でキョーコは深い溜息をついた。


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