お仕事の後で─9の4

2011年01月27日 10:57

お仕事の後で─9の4

嘘の功罪─4/5





仕事を終え、日が変わる少し前に自宅マンションに到着した蓮は、玄関の扉を開けてすぐに、ピシっと背筋を伸ばし正座をしているキョーコに出くわした。

「お帰りなさいませ! 敦賀さん」
「わっ……た、ただいま」

蓮の姿を見るや否や、勢いよく出迎えの挨拶をしたキョーコに蓮は驚いた。
キョーコは玄関前の床の上にちょこんと座ったまま、どこか堅い表情で蓮をじっと見つめている。

「キョーコ? どうしたの?」
「…………」

どう見ても普通ではないキョーコの出迎えの様子。
不審に思った蓮は、そのまま玄関先でしゃがみ込み、キョーコに顔を近づけた。

「キョーコ?」
「いきなりで申し訳ありませんが……折り入ってお話がございます」

そう言って蓮を見るキョーコの表情は妙に真剣だ。

「折り入って……お話……?」

こんな風にキョーコから改まって言われるような事など蓮にはまったく見当がつかない。
その深刻な様子に、蓮は訳もなく──不安になった。

もうここには来られません
お付き合いできなくなりました
他に好きな人が──

根拠もないまま、無駄にマイナスな方向に走った想像ばかりが蓮の頭の中で渦巻きだす。
冷静を装いつつも、内心狼狽えてしまった蓮はキョーコと顔をつき合わせた状態で、固まってしまった。
しかし、何か一杯一杯の様子のキョーコはそんな蓮には気づかす、突然、矢継ぎ早に喋り始めた。

「さ、昨今は個人情報の取り扱いには慎重にならざるを得ない時代になりましてっ」
「へっ?」
「それもっ、敦賀さん程の知名度のある方でしたら、より一層取り扱いには注意が必要と思われるんですが!」
「えっ? あ、えっと」
「と、特に住所などは、無闇に人に知られては大変でありますからっ」
「キョ、キョーコ?」
「で、でも、あのっ、だからといってっ……そのっ」
「キョーコ」

どうやら別れ話などではないとわかった蓮は安堵し、心の中でひっそりと溜息をつく。
そして、一人突っ走りながら喋り続けるキョーコの頬をぐにゃりと指でつまんだ。

「つ、つるがひゃん……痛いれす……」
「何があったのか知らないけど……ちょっと落ち着いて?」
「にゃ……」

落ち着かせるために、にこりと優しく微笑んだ蓮を見て、キョーコは頬をつままれたまま、言葉を止めた。
ほんの少しの頬の痛みと、蓮の笑顔がキョーコに平静さを取り戻させていく。

「ご……ごめんなさい……」
「いや、いいんだけど……一体どうしたの?」

頬をつまんでいた蓮の手は、今度はそこを労わるようにするするとやわらかく撫でていた。
キョーコはようやく落ち着きを取り戻し、今日あった出来事を静かに話し出した。

「あの……実は今日、帰りがけに仁科さんに話しかけられまして……」
「あ……」

数日前に打ち合わせていた話を蓮は思い出す。

「また……キョーコが住んでいる所とかを聞いてきた?」
「あー…はい……。でもそれは前に決めていた通りに言いましたから……大丈夫だと思うんですけど」
「そっか……じゃあもう平気かな」
「あ、あの……そ、それでですね」
「ん?」

少し言い辛そうにキョーコは口篭った。
そして視線を右左に泳がせた後、ゆっくりと蓮の元へと戻し、少しだけ泣きそうな顔で再び話し始めた。

「あの……仁科さんはですね……敦賀さんがどこに住んでいるか知りたかっただけなんですよ」
「え?」
「私が知ってると思われたんですね……それで」
「俺の住んでいる所を……キョーコに聞いてきたの?」
「は……はい……」

蓮の胸の中にじわりと不快感が広がった。

(キョーコに直接……そんな事を聞くなんて……)

蓮は遼子がもし自分に何か聞いてきたらいくらでも煙に巻いてやるつもりでいた。
しかし、キョーコに直接自分の事を聞かれるとまでは想定しておらず、自分の詰めの甘さを痛感する。
蓮の表情に微かに険しさが滲んだ。
蓮のマンションの周りは今でも時折思い出したかのようにカメラを持った不審な人間が出没したりする。
そこに遼子が現れたりしたらまた余計な事を言い出す所が出てくるかもしれない。

(さすがにここの周りをうろついたりはしない……よな……いくらなんでも)

黙って考え込んでしまった蓮だったが、そんな自分をキョーコが悲壮な顔で見つめている事に気がついた。

「あの、それで私」

今にも泣きだしそうな気配を見せながら再び話し始めたキョーコに蓮は慌てて口を開いた。

「別にここを知られたって大した問題じゃない。入ってこられるわけでもないしね。目の前で会ったとしても……関係ない」

細かい問題には今は口を閉ざし、蓮はキョーコににっこりと微笑みかけてから立ち上がった。

「キョーコは何も気にしなくていい」

床に座り続けるキョーコを子供の様に抱えあげるようにして立たせながら、蓮は優しく呟いた。
しかしキョーコは慌てて頭を振った。

「あ、や、違うんです……」
「ん?」
「あの……私……」

そう言って俯いてしまったキョーコだったが、少しの間だけ沈黙した後におずおずと蓮の顔を見上げ、再び口を開いた。

「敦賀さん……この間、ネットで見たマンション、覚えてらっしゃいますか?」
「お城のマンション?」
「い、いえ、そちらではなくて、レンタサイクルのある」
「あぁ……うん、覚えているよ」
「……私、咄嗟にあのマンションを敦賀さんのマンションだって……仁科さんに言っちゃったんです」
「え」
「あそこなら敦賀さんのマンションだって言ってもおかしくありませんし」
「そうか……なるほどね」

ここを知られていないのならそれに越した事はない。
蓮はそう思って納得したが、キョーコは必死に言葉を続けた。

「ごめんなさいっ……私、勝手に」
「いや、いいんじゃないかな、それで」
「で、でもですね、これじゃあ敦賀さんも嘘をつかなきゃいけなくなっちゃうじゃないですか!」
「えっ……」
「知らないって言えばよかったのにっ……私……」
「…………」

蓮はキョーコの顔を両手でそっと包んだ。

「そんな嘘……いくらだってつくよ? 大体キョーコにはもう同じ事やらせているじゃないか」
「私はいいんです。それよりも」
「よくない」
「敦賀さん……」
「俺がもう少しちゃんと考えておくべきだったのに……ごめん」
「!」

すまなそうにそう言って笑う蓮にキョーコは大慌てで強く縋り付いた。

「違いますっ! 私です! 私がちゃんとしていれば敦賀さんは何も気にしなくてもよかったのにっ」
「キョーコはちゃんとしてる」
「してません! 変な住所を騙ったりして」
「してるよ……俺はいつもキョーコに助けられてばかりだ」
「えええっ?」

ぱくぱくと口を開け閉めしながら慌てた様子のキョーコの顔を再び両手で包み、蓮はお互いの鼻先同士が触れるか触れないかまでに顔を近づけた。

「うまくやったね。助かったよ……ありがとう」

囁く様にそう言った蓮は、キョーコの鼻先に軽いキスをした。

「…………っ」

キョーコは一瞬で茹で上がったように真っ赤になったが、急に真顔になり、蓮の手をすり抜けゆっくりと下を向いた。
そのまま黙り込むキョーコの様子が少しおかしいと思った蓮がその顔を覗き込むと、キョーコは目にうっすらと涙を浮かべていた。

「キョーコ? どうした?」

慌ててそう尋ねる蓮を、キョーコはしばらく黙ったまま涙目で見つめていたが、少し経ってからぽつりぽつりと話し出した。

「うまくなんてやってないです……私、ただ」
「ただ?」
「少し悔しかっただけなんです……」
「え……」
「仁科さんはですね……私が敦賀さんとどうこうなんて……ちっとも思ってないんです……」
「…………」
「相手にされてないといいますか……それはそれでいいと思うんですけど! な、なんだか」
「うん……」
「……急に悔しくなってしまって……」
「…………」
「ここを教えるなんて絶対に嫌なのに、知らないっていうのが悔しくって」
「………………」
「それで、咄嗟にあの日見たあのマンションを」
「そう……なんだ……」
「でもあまり意味がなかったような気がしますし、そ、その上、敦賀さんにご迷惑を掛ける事に……」

蓮はキョーコを壊さないギリギリまで、力一杯抱きしめた。

「敦賀…さん……く、苦しいです……」
「…………」
「あのう……」
「……そんなかわいい事言って簡単に離してもらえると思ってる?」
「なっ……か、かわいい? どこかですが……」
「かわいい」
「……それは、あれでしょうか……馬鹿な子ほどかわいいとか、そういう」

蓮の腕の中で、もぞもぞと動きながらキョーコはぶちぶちと文句を言うようにそう呟いた。
蓮は少し吹き出しながら、にやけてしまった顔を戻す事ができないまま、キョーコを抱きしめ続けた。

「違うだろう? キョーコがそんな風に思ってくれたなんて嬉しいよ」
「え………」
「嬉しいから、俺は喜んであそこに住んでいる事にするよ」
「あ、あの」
「どうせなら本当に買うか借りるかしようか。そうすればキョーコの嘘が一つ減る」
「なっ! や、やめてくださいっ!」
「ついでにお城のマンションも借りてしまえば……キョーコに嘘がなくなるな……」
「敦賀さん……お願いですからちょっと待ってください……」
「意外といい考えかもしれないな」
「全然よくありませんっ! 妙な浪費はやめて下さい! ここはどうするんですか」
「ここは……時々近くをカメラを持った奴がうろついたりするからね……」
「そんなのまったく問題ではありません。そういう人、私もたまに見かけたりするんですよ? でも、すれ違ったって私気づかれませんから」
「え、そうなんだ……やっぱり少し危ないな……」
「危なくなんてありません! 私の変装は完璧ですからっ」
「うーん」
「ここの住人だと思われてるんですよ。エレベーターで他の住民の方と会っても変な顔はされませんし」
「誰かとエレベーター、一緒になったりする?」
「時々です、ちゃんとうまくやっていますよ? ご家族連れの方は気軽に挨拶もして頂けます! 皆上品で丁寧な方々です」
「へぇ……」
「だから大丈夫なんです! もう私いつだってここに」

少し緩んだ蓮の腕の中で、その顔を見上げながらキョーコは順調に現状を語っていたが、そこでピタリと言葉を止めた。
蓮は大人しくその続きを待っていたが、待っている間にそれに続く言葉を思い当ててしまった。

「いつだってここに……?」

その予想が当たっているかどうかを探るために、蓮はキョーコの最後の言葉を拾い、ゆっくりと繰り返した。

「………っ」

キョーコは頬を真っ赤にして目を逸らし、困ったように俯いてしまった。
そんなキョーコの様子をもうちょっと見ていたいと思った蓮だったが、それでタイミングを失ってしまっては大変とばかり、すぐに思い浮かんだ言葉を口にした。

「いつだって、ここに……住んでも大丈夫?」
「え、や、あのっ」
「そうか……考えてくれた事あるんだ……」
「…………」

ふいにキョーコの身体が蓮から離れるように、揺れた。
蓮は逃がさないように再び強くその身体を胸の中に抱きとめた。

「キョーコ」
「は、はい」

今までずっと喉まで出掛かっていては、飲み込んで来た言葉。
それを蓮はようやく、今、口にする。

「ここに来て、一緒に暮らさないか?」

身体越しに、キョーコの心臓が跳ねる様子が伝わって来た。

「ずっと考えていたんだけど……キョーコにばかり面倒かけそうで言い出せなかった」
「そ……」
「でも本当はずっと一緒に居たいんだ」
「…………」
「どう……かな……?」

抱きしめていた腕の力を緩め、蓮はその中のキョーコにそっと視線を落とした。
言ってはみたものの、胸の奥でちらつく不安。
緊張した蓮の視界の中で、キョーコはゆっくりと顔を上げて蓮を見つめ、静かに口を開いた。

「ご迷惑では……ありませんか?」
「一体何が迷惑なのかまったくわからないよ」
「敦賀さんはお忙しいですし……ゆっくり休む時間が」
「キョーコがいたほうが休める」
「で、でも、私、ごちゃごちゃと色々うるさいかも……」
「一人で静かな夜なんてね……もういらないんだよ」
「…………」

そう言ってキョーコを見つめる蓮の目は真剣で、迷いの色はない。
キョーコは吸い込まれるようにその瞳を見つめ、ゆっくりと口を開いた。

「お願いが……あるんです」
「ん?」
「私、今、スーツ位しか持っていなくて……」
「スーツ?」
「変装……毎日となるともうちょっと数が欲しいかなって……」
「あ……」

蓮のマンションに来るためのキョーコの服装は、今でもスーツ姿である事が多い。
"お願い"の意味を悟り、蓮の緊張は解け、代わりに嬉しさが胸の中にじわじわと広がっていく。

「見立てて……頂けますか?」

そう言ってキョーコはどこか恥ずかしそうに微笑んだ。

「決まりだね……」

望んでいた答えを得て、蓮の顔は盛大に緩んでいった。
諦めていた夢が突然叶う事になり、いままで抑え気味だった様々な欲求が蓮の中から次々と溢れ出し始める。

「眼鏡もいるんじゃないの?」
「め、眼鏡はひとつで充分ですっ」
「靴も」
「いえ、あの、それもひとつでいいですから」
「まだ他にも色々……」
「あのっ……買うのは私ですからね? 服装を見立てて下さるだけでいいんですよ?」
「バッグとかももっとあった方が」
「つ、敦賀さんっ! 聞いてます?」
「必ずしもスーツじゃなくても……他にもいろいろとバリエーションを」
「敦賀さーん!」

次々とキョーコに買ってあげたい物を口にする蓮に、キョーコは少し慌てる。
玄関先で延々と何かを考え続けている蓮を見て、新たな不安で一杯一杯になったキョーコはその考えを邪魔するように蓮を部屋に上がるよう促した。



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