お仕事の後で─9の3

2011年01月26日 12:10

お仕事の後で─9の3

嘘の功罪─3/5




『まぁ、そんなに詳しく調べなくていいよ。大体でいいからね。具体的な住所まで答える必要なんかないから』
「はい」
『それでも場所を決めておいた方がやりやすいよね』
「そうですね。ありがとうございます」

社のアドバイスを受け、キョーコは架空の住居を決め、その情報を頭の中に密かに忍ばせておいた。
それでも数日間は特に何も起こらず、その事はすっかり忘れてしまっていた。



収録を終えたキョーコは帰り支度をして控え室を出た。
蓮は既に次の仕事へと向かっている。
慌しく移動して行った蓮とは別れ間際に特に何の会話も交わす事はなかったが、携帯には"お疲れ様"と書かれた短いメールが来ていた。
いつの間にメールしてくれたのかな、と思ったキョーコはついにやけてしまう顔を必死で抑えながら、携帯を片手に帰るため局内の廊下を歩いていた。

(今日は敦賀さん、何時に終わるんだっけ……行っても平気かな……行っちゃおうかな……)

今日の自分の仕事は終了し、明日は特に予定はない。
一旦帰ってから、急いで買い物をして──
今日これからの、仕事ではない予定を頭の中で素早く組み立てながら歩いていたキョーコの耳に、後ろから自分を呼び止める声が聞こえてきた。

「お疲れ様、京子さん」
「あっ……仁科さん、お疲れ様でした!」

振り向いたキョーコはそこに遼子の姿を認め、慌てて挨拶をしながら頭を下げた。

「これから帰り? 電車移動……だったわよね」
「はい、そうです」
「電車で……どれ位かかるのかしら、お家まで」
「えっ……ええっと、そんなにはかかりませんけど……」
「そう……あなた、どの辺に……住んでるの?」

きた──

数日前に想定していた質問を受けて、キョーコの中で何かが切り替わる。
キョーコはにっこりと微笑むと、遼子に、頭の中に入れておいた"架空の住居"について、すらすらと淀みなく答えた。

「ふうん、そうなの……LMEの借り上げのマンションなのかしら」
「いえ、そうではないのですが、事務所で探して頂いた所です」
「LMEの人はその辺に大勢住んでるって聞いたけど」
「そうみたいですね。全部知っているわけではないのですが」
「まぁ……大きい事務所ですものね、そちらは……」
「えぇ……まぁ……」

どことなく端々に棘のある遼子の言葉に、キョーコの浮かべていた笑顔は徐々に固まっていく。

「あぁ……敦賀さんも……近くに住んでるんでしょう?」

蓮の名前を出されて、キョーコの心臓の鼓動が急速に早まった。

「ち、近いみたいですねっ……何度か近くにまで送って頂いた事もありますしっ」
「…………」

会話が少し止まる。
キョーコはできる限り動揺を表さない様に答えたつもりだったが、遼子が作った沈黙のせいでうまく答えられたかどうか自信がなくなった。
送ってもらった事があるなどとは言わないほうがよかったのだろうか。
少しだけ自分の発言を後悔し、固まった笑顔を顔に貼り付けたまま、キョーコは続く言葉を探した。

「ええっと……」

落ち着きのなくなったキョーコを遼子は冷たい目で探る様に見つめていたが、再び口を開いた。

「あなた、知らないの?」
「えっ? な……にを……でしょうか?」
「敦賀さんが住んでいる所よ」
「へっ」
「LMEの娘が大勢近くに住んでるのなら、噂になったりしてるでしょ?」
「えっ、あの」
「大きいマンションか何かかしら。近所ならすぐわかるんじゃないの?」
「あ……」

ここでキョーコは自分の考えが足りなかった事を知った。

遼子は自分と蓮の仲を怪しんでなどいない。
ただ、蓮がどこに住んでいるのかを知りたかっただけ。
それに気づいたキョーコから無理矢理作っていた笑顔が消えていった。

──あなたには絶対言いたくありません

頭に浮かんだ言葉は、先輩女優に向けるものとは思えなかった。
キョーコはきゅっと強く唇を結び、辛うじてそれを口の中に留めた。
そんなキョーコを少しの間、黙って見ていた遼子だったが、不意に小さく口の端を歪めた。

「あなた、同じ事務所の後輩ってことでよく敦賀さんにまとわり付いてるじゃない?」
「なっ……ま、まとわり」
「その勢いで押し掛けたりしてそうだと思ったの……敦賀さんの迷惑を顧みず」
「……っ」

遼子の言葉にキョーコは絶句した。
そんな事はしていません、そうきっぱりと言い切れない自分がキョーコの中にいた。
最近、キョーコは周りの人間の声に甘え、蓮のマンションに前よりも頻繁に出入りするようになっている。
それを蓮から咎められた事など一度もなかったが、キョーコの心の奥底にはまだ遠慮している部分が少しだけ残っていた。
たとえ、邪魔だなと思う事があっても蓮は自分にそんな事は言わないだろう。
入り浸るのはできるだけ避けなければ、そんな思いもあったキョーコに遼子の言葉がつきんと突き刺さった。
凍りついた表情のままで言葉もなく立ち竦むキョーコを見て、遼子は少し笑った。

「あら、図星だった?」
「…………」
「知ってるんでしょ? いいじゃない、教えてくれても」
「あ……の……」
「派手な色のつなぎで敦賀さんへの事務所の使いみたいな事もしてたわよね、確か」
「あ……」
「それでも知らないなんてちょっと残念よねぇ」
「……っ」

知らないと言い張るべきだ。
必死でそう自分に言い聞かせ、キョーコがようやく口を開きかけた時、遼子は突然、仕事現場で見せるような上品な女優の顔でにっこりと微笑んだ。

「敦賀さんにはあなたから聞いたなんて言わないから大丈夫よ? ……ご迷惑はお掛けしないわ」

キョーコの表情が引き攣る。
頬がかっと熱くなり、胸の奥までチリチリと焦げるような気がした。

──知りません

言うはずだった言葉は、最後の最後で違うものへと変わった。

キョーコは重い口調で、頭の中に浮かんだマンションの外観とその場所をぼそぼそと口にした。
遼子はそれを聞くと、今までキョーコには見せた事のないような機嫌のよい笑顔を浮かべた。

「呼び止めて悪かったわね。じゃあ、お疲れ様」
「………お疲れ様でした」

丁寧に頭を下げたキョーコに、遼子はそっけなく挨拶の言葉を残し、足早にその場を立ち去って行く。
キョーコは静かに顔を上げた後、どこか暗い表情でその後姿をじっと見つめていた。



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