お仕事の後で─8の2

2010年09月12日 13:30

お仕事の後で─8の2

MissingPink─2





遼子の声に驚いて思わずその場から逃げてしまったキョーコは、ノックしたまま姿を消すという自分の不審な行動に気付いて焦り、急いでもう一度蓮の控え室へ戻っていた。

(今日はドラマの撮影があったはずだし、その関係でいたのよ……それに逃げることはなかったわよね……)

今日の自分は、明らかに普通じゃないピンク色のつなぎ姿。
事務所の使いで来ました、とでも言えば不自然じゃなかったはずだった。
たとえ不自然だとしても強引に入り込むべきだったんだ、とキョーコは思っていた。

遼子を目の前にすると、どうしても弱腰になる自分が───少し嫌だった。

狼狽えて逃げた自分を叱責しながらキョーコが戻った蓮の控え室にいたのは遼子だけだった。

「あ……」
「こんばんは、京子さん」
「こっ、こんばんは、仁科さん」

慌ててお辞儀をした後、顔を上げておずおずと部屋の中を見回してみたが蓮の姿はない。
戸惑うキョーコに遼子は抑揚のない声で話しかける。

「……変わった格好ね。事務所のお仕事かしら…」
「あ、は、はいっ……そ、うです……」
「敦賀さんならご予定があるとかでお帰りになったわよ。……残念ね?」
「え……」

遼子はキョーコを冷たく一瞥しそう言うと、蓮の控え室から去っていった。

「…………」

遼子を見送ったキョーコは、いつもよりも一層刺々しい口調だった遼子の迫力に押され、早くなった心臓の鼓動を抑えるように胸に手を当てていた。

(や、やっぱり……なんか怖いよ、仁科さん……)

普段から遼子は蓮がいる時といない時で、微妙にその人柄が違う。
怒鳴り散らしたりまではしないが、蓮がいない時の現場の遼子はいわゆる上下関係に厳しい先輩女優だ。
そして、普段、同じ事務所だという事で蓮と一緒にいる機会が多いキョーコには特にあたりが厳しかった。

(別に……変な事されてるわけでもないし、これくらいでビクビクしてちゃだめよっ)

そうは思うものの、やはりどうしても遼子を目の前にすると身構えてしまう。
そんな自分に溜息をつき、キョーコは改めて蓮の控え室を見渡した。

(また……予定が変わったのかな……)

控え室の中には蓮の荷物らしきものもなにもない。
蓮がまたここに戻ってくるとは思えず、キョーコはもう必要のない部屋の灯りを消して蓮の控え室を出た。
顔を見ることも出来なかった事に落胆し、帰るためにとぼとぼと局内を歩きながら自分のバッグに手を入れる。

(一応……連絡しておかないと……敦賀さん気にしてるかも……)

そう思って取り出した携帯には蓮からの着信が一件。

(わっ!うそっ……なんで気付かなかったのかしら……)

遼子の声に驚いて随分と遠くまで走って逃げていた自分を思い出す。
かなり遠くまで走り去ってしまっていたため、戻ってくるのも全力疾走で……注意力散漫だったかもしれない。

(もう…私っていつもこうね……もう少し落ち着かないと)

そんな事を思いながら蓮に電話しようとした時、その携帯が震えた。

「あっ」

蓮からの着信。
慌てて電話にでようとした矢先、キョーコに声をかける人がいた。

「あれっ、君!さっきの子だよね!まだいたんだ!」
「えっ?」

周囲に響き渡る大きな声で呼びかけられ、キョーコは驚いて声のした方を振り向いた。
声の主はさっき椹に届け物を頼まれた相手だった。

「事務所戻るんだよね?ちょうど良かった!」
「えっ?ええぇ?」

震える電話と大声で話す男の顔を交互に見ながらオロオロするキョーコに構わず、男は強引に話を進める。

「さっきの、明日朝一番で返す事になってたんだけど……いやぁ、助かった!人手が足りなくてね~」
「あ、あのっ」

焦るキョーコに男はキョーコが持ってきた分厚い書類袋を勢いよく手渡した。

「はい、これ!今日中に持って行ってくれればいいから!いや、悪いね!」

男はそう言って、忙しそうに走り去って行ってしまった。

「…………」

戻ってきた書類袋を抱きしめながらキョーコは少し呆然とその場に立ち尽くしていた。
さっきまで震えていた携帯は既に大人しくなっている。

(今日はなんだか……ついてない日なのかなぁ……)

一人、肩を落とし、書類袋を抱えてキョーコは再び歩き出す。
TV局を出たところで、立ち止まり、改めて携帯を開いた。
蓮も移動中かもしれないし、電話で直接話すと落ち込んで沈んでいる自分が伝わってしまうかもしれない。
仕事の邪魔はしたくない───そう思ったキョーコは少し考えてからメールをうった。


急用ができて、移動中です。
私の事は気にしないで下さい。


もう一度事務所に戻るだけなのだが、自分も用事だと言っておけば蓮も気を使わないだろう。
そう考えて綴った二行の短いメールを送信すると、キョーコは寂しげに微笑み、事務所へと戻るために歩き出した。


****


(どこ……行っちゃったのかな……)

ニ回目のノックはキョーコのものだと確信し、蓮はその姿を探して歩き回り、周囲を見回す。
しかし、見つける事ができず、とりあえず連絡をと思いつき携帯を手にした時、ようやく自分を見ている数多い視線がある事に気が付いた。
足を止め、遠巻きに自分をちらちらと見る女性達。
TV局内の、人が大勢行き来する場所のど真ん中に自分が立っていた事に気付いた蓮は、携帯を握ったまま、一旦人気のない場所へと移動しようと考えた。

どこかにいないかと、未練がましく何度も振り向き、あのピンク色を探しながら、蓮はその場を後にする。
足早に歩きながら、少し考え、蓮は自分の車を置いている地下駐車場へと足を向けた。


人気のない駐車場。
自分の車の横で蓮は携帯を開き、発信ボタンを押す。
数回の長いコール音。
通話はそのまま留守番電話へと切り替わった。

「…………」

蓮は無言で一旦携帯を閉じる。

(怒ってる……とかじゃない……よな……)

キョーコは恐らく驚いてとりあえず立ち去っただけだろうと蓮は思ったのだが、繋がらない電話がそれを確信する事を阻んだ。
妙な焦燥感に囚われ、蓮は次にどうすべきかを迷う。

(落ち着け、電話が繋がらないなんてよくあること…じゃな…い……か…………)

そうは思うものの、消せない不安で冷静な自分をなかなか取り戻せない。
駐車場内を通り過ぎて行く車の音で、蓮はようやく自分が長い時間、置物の様にただ突っ立っていた事に気が付いた。

(な、なにやってんだ、俺……)

額に手をあて、鈍ってしまった思考回路を揺り動かし、キョーコの行動パターンに考えを巡らす。

ノックして何も言わずにそのまま立ち去る、なんて事をしたことに気が付けばきっと慌てて戻ってくるはず。

遼子を放置して来た手前、なんとなく戻り辛かったが、蓮は再び自分のいた控え室へと向かった。



舞い戻った控え室は、室内の電気も消えていて暗く、人の気配はまったくなかった。
蓮は迷い込んだ子猫でも探すかのように、灯りもつけずそっと室内の物陰を覗き込んだりしていたが、当然キョーコの姿はない。
静かに外に出て、通路の右左を何度も見回すが、やはりどこにもその姿は見つけられなかった。
蓮は廊下の壁にもたれて一人溜息をつく。
それでも、なんとか気を取り直し、もう一度携帯を取り出して、今度こそ繋がるようにと願いながら発信する。
しかし、再度の発信もまた愛しい声の元に繋がる事はなかった。

(弱ったな………本当にどうしたのかな……)

繋がらない電話。
見つからない彼女のあの色。

壁にもたれたまま、蓮は途方に暮れたように廊下の白い天井を見上げていた。
その時、握っていた携帯からメールの着信音が鳴り響いた。

「!」

発信者はキョーコ。
蓮は慌てて内容を確認した。


急用ができて、移動中です。
私の事は気にしないで下さい。


「…………」

キョーコからのメールを、蓮は少し呆然としながら黙って見つめ続けていた。

(急用で……移動中?)

もう局内にキョーコがいない事を知り、蓮から力が抜けていく。

(……私の事は気にしないでって……)

そんな事できるわけないじゃないか。

心の中でそう呟き、蓮は再び、今度は深く長い溜息をついた。


たったニ行の短いメール。
それを何度も読み返すうちに、それが示す意味合いが蓮の頭の中でいろんな方向へと迷走していく。


急用ができたので移動中です。
後でお部屋に行きますので、私の事は気にしないで先にお帰りになっていて下さい。


急用ができたので移動中です。
いつ帰れるかわからないので、私の事は気にしないで先にお帰りになって下さい。


帰ります。
敦賀さんも勝手に帰ってください。


(……いや……最後はないだろ……)

穿ちすぎだ、とは思ったが、どうしても思考がマイナスの方向へと向かう。
そのせいで電話どころか、メールに返事をすることさえ躊躇われた。

明日からまた会えない日々が続くかもしれない。
こんな状態で会えないまま今日が終わってしまったら、明日からの自分に自信がない。

どうしても───今日は会いたい。

そう決心した蓮は、再び駐車場へと足を向ける。
あのピンクのつなぎで急用なら、キョーコの行き先は事務所だろうと予想し、自分もそこへ向かうべく走り始めた。




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