カノン

2010年05月25日 08:22

カノン


君が女優として頑張っているのは知っているし
俺もそれを応援したい
どんな役にでも挑戦して欲しいし
必要とあらば手も貸したい

本当にいつもそう思っているよ
でも、どうしても
先輩の俳優である俺より
君の恋人である俺が
強く出てしまう事を止められない時がある

君がついこの間出演したドラマ
恋愛ドラマだってちゃんと知っている
話の大筋も君から聞いたね
でも、あんなシーンがあるなんて知らなかった

もし、あんなシーンがあるのなら
君はきっと少し悩んでみたり
戸惑って俺に相談してくるんじゃないかと
俺は勝手に思っていたんだ
君は何も言わなかったし
特別変わった様子も見られなかった
だから俺はあんなシーンがあるなんて思ってなくて
あったとしても軽い抱擁や型通りの軽いキスぐらいだろうと思っていた

息を呑む位の熱い強烈なラブシーン
カメラアングルでの誤魔化しなんて一切ない
誰もが本物の恋人のキスシーンを
覗き見ているかの様な気になって
きっと心臓の鼓動が早くなっただろう
そのまま縺れ合ってベッドに倒れこむ
その後の様子の描写はなかったけれど
簡単に続きが想像できるよ

それ位違和感の無い、いい演技だったよ
いい演技すぎて
俺はもう夜も眠れなくなった

女優としてちゃんと成長している君を
俺は称えるべきなんだろう
恋人としては軽い焼餅を焼いてもいいだろうけど
どうしても俺は物分りのいい男になりきれずに
軽くなんて済ませそうにないんだ

ドラマ見たよ、とさえ言えなかった
いつも喉まで出掛かっては、消えていく
嫉妬以上の理不尽な感情をぶつけてしまいそうで
怖くて口にできなかった

やっと今夜君に逢える
ずっと普通を装っていた毎晩の電話の声
今日はどうしても
冷静でいられない

「もしもし……」
『もしもし?もう、お家ですか……?』
「うん…今日は早く帰れたから……」
『……私も……終わりました……今から行ってもいいですか……?』
「もちろん……待っているよ……」

電話を切った後、玄関の前に立つ
まだ彼女がここに来るまでには時間がかかる
それなのに待ちきれなくてこんな所で待ち構えるなんて

少し頭を冷やすために
リビングへと無理矢理戻る





彼は出会う前から人気があって
今でも目標にしているすごい俳優
それに少しでも近づきたくて
無我夢中で頑張ってきた

いつしか先輩から恋人に変わって
まるで自分だけの人みたいに思う時もある
でもやっぱり貴方は俳優で芸能人で
私以外のたくさんの人に愛されている

先日見かけた彼のグラビア
少し胸を肌蹴た感じはいつもの事だけど
その胸の中に見知らぬ女性

「最近こういうのが増えたんだよね、あいつは」

社さんが少し面白そうにそう言ったの
以前話題になったポスターがきっかけで
女性との絡みが多くなったって

「前からそういうのはよくあったけど…やっぱりキョーコちゃんがいるから少し影響が」

社さんの言葉に必要以上に反応して
私は真っ赤になって焦っていたけど
胸の中ではおかしな感情が渦巻いて
今にも駆け出しそうになった

俳優という職業上
こんな事はいくらだってある
私だって先日ラブシーンをこなした
ちゃんとできるかどうか不安だったけど
一発でOKだったの

女優として少しは成長したでしょうって
堂々と彼に言いたかった
そして、軽く焼餅を焼く貴方を
見てみたりしたかったけど

とうとう言う事ができなかった
だって、あれは演技じゃなかった
相手を貴方だと強く思うあまりに
いつもの夜と錯覚したの

何もかもが貴方と違う人を
貴方だと思って身を委ねただけ
それを演技だと言っていいのかどうか自信がない
結局は貴方に引っ張られているだけで
自分の成長がない気がするの
その間にも貴方は益々遠くに行ってしまって
置いて行かれそうで怖くなる
その一方であんなグラビアには嫉妬したりして
自分が少し情けなくなる

やっと今夜貴方に逢える
ずっと普通を装っていた毎晩の電話の声
今日はどうしても
冷静でいられない

『もしもし……』
「もしもし?もう、お家ですか……?」
『うん…今日は早く帰れたから……』
「……私も……終わりました……今から行ってもいいですか……?」
『もちろん……待っているよ……』

彼の声がいつもより甘く聞こえる
電話を切った後も、その声が耳に残る
勝手に一人で意識してこんなにも心が騒ぐなんて

少し落ち着きなさい、と自分に言い聞かせ
高鳴る胸を押さえながら、彼の部屋へと急いだ





冷たい床の上で、身体が痛くなるほど長い時間抱き合っていた。
彼女の手が何かの拍子にテーブルの足に当たり、かさりと音を立てて何かが振ってきた。

「いてっ」

俺の背中に当たってから床に転がり落ちたものはまだパッケージされたままのレタス。
それを見た彼女がくすくすと笑った。

「背中……冷たくない?」
「冷たいです……」

俺は身体を起こし、笑いながらそう言う彼女を抱き起こした。
中途半端に脱がされ露になった彼女の胸元には紅い印が驚く程の数散らされている。
それをやった犯人である俺は、自分の余裕の無さに思わず苦笑いをする。

俺の部屋にやって来て、夕飯の支度をする彼女の後姿にいきなり襲い掛かったのは俺の方。
寝室以外の場所でそんな事をする俺を、彼女はいつも最初は嫌がって少し怒ったり抵抗したりするのに、今日はなぜか何の躊躇いもなく俺に身を任せた。
彼女のいつもと違う小さな変化に気づきながらも、俺は自分を止められなかった。
止めるどころか、場所さえも移動せずにキッチンの床に転がっている有様だ。
事が終わってからようやく俺は反省すべき状況に気づき、乱暴に床に押し付けていた彼女を抱きかかえてリビングへ向かった。
その間にも、彼女はずっと俺の首に強く巻きついて離れない。

「…………」

ソファに落ち着こうと思っていた俺は、そんな彼女の様子にささやかな期待と少しの心配を抱き、寝室へと目的地を変えた。
彼女をそっとベッドに横たえると、今度は優しく抱きしめる。
今度はただ労わる様に抱きしめあって、キスをして、お互いを確かめるようにひたすら触れ合っているだけ。
嵐のように過ぎ去ったさっきの事が嘘のように穏やかな時間を過ごした後、やっと心に余裕が出た俺はようやく先日見た彼女の出演したドラマの話を振る事ができた。
さっきの俺の行動を言い訳するかのように───

「いつの間にかあんなシーンもちゃんとこなせる様になっていて……少し驚いたな」

褒めているつもりだが、どうしても嫉妬心が隠せない。
それでも、彼女に見せられる程度には小さくなっていた。
そんな俺の嫉妬心に気づいてちょっと怒るのか、それとも焦ったり、ただ照れたりするのか、彼女の反応をいくつか予想して待っていたけれど、現れたのは予想していなかった彼女の表情。
どこか浮かない、いや、悲しそうな色さえ浮かべて俺を黙って見つめる彼女。

「どうした……?ちゃんと女優として成長したなぁって思ったんだけど……」

嫉妬ばかりする俺に呆れてしまったのか、と少し動揺しながら彼女に問いかける。
すると彼女は目を伏せて頭を振る。
そして、小さな声でぽつりぽつりと話し出した。

「成長なんて…してないんです」
「え……」
「あれは……ただ相手を敦賀さんだって思ってやっただけで」
「…………」
「あの役になりきってやったんじゃないんです……」
「…………」
「それじゃ…駄目だと思うんです……」

彼女にどんな言葉を向けたらいいのか、判断がつかなくて俺は沈黙した。
何も隠さない正直な俺はその彼女の言葉を心から喜んだのだけれど、そんなに単純な言葉を言っていいのかどうかわからなかった。
そんな俺をぎゅっと強く抱きしめて彼女も沈黙する。

俺に愛を語りながら、女優としての自分に厳しい言葉を向ける。
そうやって君は俺をどんどん虜にしていく。
まだ君は俺を遠い存在に感じている部分があるのだろうか。
もう俺はとっくに君に捕まってしまっていて、俳優としての部分さえ風前の灯なんだよ?
彼女を慰めるため、というより、彼女を俺に引っ張り寄せるために俺は口を開いた。

「それじゃあ……俺も駄目かもしれないなぁ」
「えっ」
「俺はいつも相手をキョーコだと思ってやっているよ?」
「へっ」
「基本が相手はキョーコ。で、あとはその役柄設定に合わせてちょっとアレンジするとか」
「ア、アレンジですか?」

少し思い悩んでいた、距離を感じる……沈んだ顔から、俺の言葉に焦って顔を赤らめる、いつもの彼女の顔に変わる。
俺よりも少し高く遠くを見つめていた彼女を強引に下から引きずり落とした気分になる。
それでも俺は君を離さない。
俺から少しでも距離を取ろうとする事さえ許さない。
こんな男に捕まって、やっぱり君は人よりも運が悪いのかもしれないね。

「ラブシーンなんて……誰だってそんなに簡単にはこなせないよ」
「そうでしょうか……」

少なくとも、俺はそう。
君に出逢っていなかったら、俺はあの時、あのスランプを乗り越えていたのかどうか、自信がない。

「大事な……ことだしね?」
「……そう……ですね……」

簡単にあんなラブシーンをこなせられたら、もう完全に俺の負け。
俺はいまだに相手を君と思って演技する術しか見つけられていない。
そしてそれ以外の方法を見つける事が一生できる気がしないんだ。
願わくは、君もそうであって欲しいと思う。

「じゃあ、練習しよっか?」
「へっ!」
「はい、じゃあ初めてのキス」
「なっ」
「俺からでもいいけど……キョーコの方からがいいなぁ」
「いいなぁって……あ、あらためて言われちゃうと、で、で、できないじゃないですかっ」
「俺相手でもできないの……?それじゃあ、今度また別の仕事であったりしたら……」
「むっ、むぅ……で、できますっ!」

少しムキになって頬を真っ赤にしながら目をぎゅっと瞑り、彼女からの啄ばむ様な、でも勢いのある強引なキス。

「初めてにしては……積極的だね?」
「ま、またっ!そんな事言って……からかってますね!」
「からかってないよ?……それじゃあ付き合って一ヶ月目位の奴を……」
「そんな微妙な設定は困ります!」
「微妙かなぁ。一ヶ月目位って言ったら初めて夜」
「きゃ!な、何でそういう事を言っちゃうんですかああ!」

今でも色々と言葉にすると大慌てで真っ赤になる彼女に俺の方からした「一ヶ月目のキス」は少し設定からはズレたいつもの長いキスになった。




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