ひどいひと。─後編

2010年05月10日 18:04

ひどいひと。─後編


(やっぱりちょっとやりすぎちゃったわよね…大丈夫かしら)

いろんな想いが錯綜して朝から大量に食事を作ってしまったキョーコは、それでも作った弁当の半分は自分がなんとかしようと今日の現場に持ち込んでいた。
それさえも一人では食べきれず、周りのスタッフなどに強引に勧めていたが、思いの外、喜んで食べてもらえてキョーコは少しほっとしていた。

『きゅらら』以来、初めてのCM撮影。
あるミュージシャンの新曲のCMで、ドラマ仕立てのワンシーンがあり、その中で一言だけ台詞がある。
その部分は完全にキョーコ一人がメインで朝からかなり気合を入れてやっているのだが、なかなかOKがでなかった。

「すいません…時間がかかっちゃって……」

キョーコの弁当を食べるスタッフの一人につい頭を下げてしまう。

「ん?いやいや、こんなのいつもの事だよ。うちの監督はこだわる人だからね。ほんの数秒のシーンに何日もかけちゃうんだから」
「そうなんですか…」
「台詞だって台本にあったのは少しだけだったでしょ?あとは全部アドリブになってるし、それに対応する役者さんの方が大変だよねぇ」
「あ、いえ、一言だけですし。でもなかなかうまい事が言えなくて」
「好きな事どんどん言っていいからね。なにがあの人の気に入るかは俺らにもわかんないしね~」
「は、はぁ」
「今回、この学校の教室使えるのは今日だけだから、今日中にはなんとかなると思うよ」
「今日中ですか」

既に朝から昼、そして夕方へと向かって時間は経っていた。
日が傾いてくれば、教室の情景も変わる。
その辺りは大丈夫なのか心配したキョーコだったが、スタッフは平気だよ、といって気にもしていないようだった。

誰もいない教室の中。
窓際の机の上に、軽く腰掛ける。
付き合っている彼に嘘をつかれて、怒っているけれど、やはり好きだから憎みきれない。
そこへやって来た彼に一言。

(い、意外と難しいわよね…。いろんなパターンの演技しすぎて混乱してきたわ…そろそろボキャブラリーの限界も感じるし…)

監督は人当たりのいい柔らかな物腰の人で、現場の雰囲気はとても穏やかだった。
それだけがキョーコにとって救いではあったが、既にもう日も傾き、まだOKは出ない。

「うそつき」「バカ」「もう知らない」「来ないで」「嫌い」「大嫌い!」「あっちへ言って!」

キョーコが思いつく限りの一言や、監督から言われた台詞をもう何十と何度も繰り返し言い続けているが、まだ撮影は続行中だった。

「夜になってもいいんだ。もうちょっと頑張ってね」

にっこりと穏やかに笑いながらも、有無を言わせぬ強引さがあるその監督の人柄は緒方監督を彷彿とさせた。

(もう焦っても仕方ないか……とことんやるしかないわ)

監督は途中からどのタイミングでどんな台詞を言うのかもキョーコに任せていた。
長時間の撮影に、さすがに疲れが隠せないキョーコは、次はどんな台詞を言おうかと考えながら、窓から沈む夕日をぼんやりと眺めていた。
目に染みるその切ないオレンジ色が、昨夜の淡いルームランプの灯りを思い出させた。
ふいに頭の中に蘇る昨夜の出来事。

一瞬途切れた集中に、思わず漏れた小さな呟き───

「はい、OK」
「へぇっ!?」

突然のOKの声に驚いて、思わず奇声をあげてしまったキョーコは声がした方を振り返った。
そこにはにこにこした顔で満足そうな監督の姿があった。

「えっ、あの」
「うん、京子さんお疲れ様。いいのが撮れたと思うよ。またよろしくね」
「はーい、終了でーす」
「撤収作業よろしくー」

一体何がOKなのか、よくわからないまま混乱するキョーコをよそに、現場はあっという間に後片付けの作業に入っていた。



「今日からキョーコちゃんのCM流れるんだよね、楽しみだよ」
「あぁ今日からでしたね」
「どんな奴なのかな。お前、聞いてる?」
「うーん、聞いたんですけど…なんだか曖昧で」
「曖昧?」
「一言だけ台詞を言うらしいんですが、どれが採用されたかわからないらしくて」
「へえ~」
「あのCMの監督はこだわるタイプの方でしたよね。きっといろんな事言ったんだと思うんですが」

女子高生役に、きわどい台詞など言わせないだろうと思う蓮だったが、採用された以外のキョーコのシーンも手に入れたいと思った。
しかし、そんな事を社に知られたらまた盛大に遊ばれるな、と思い、気取られないように注意する。

蓮と社が時間調整と休憩を兼ねて居たLMEの一室に社長がやって来た。

「おー、お疲れ。最上君は今いないからな。お前はどこにいるのかと捜しちまったぞ」
「な、なんですか急に」
「ほーれ、ほれ、これ欲しくないか?最上君がやったCMの詳細な様子」
「え」

一枚のDVDを持って、社長はそれを蓮の目の前でひらひらとさせる。

「できるだけでいいから、撮影した分貰えないかと監督さんに頼んでおいたんだよ。いやぁ、律儀に送って来てくれたよ」
「なっ、なんでそんなこと」
「なんでってお前が見たがるだろうと思って」
「………っ」

横にいた社が目を細めて微妙な顔つきをしているのがわかる。
あれは恐らくにやつきたいのを我慢してるか、新たな遊び材料を手に入れて喜んでいるか、どっちかの顔だな、と蓮は思ったが、とりあえず社長の話に耳を傾ける。

「俺も一通り見たが…まぁなんだな、採用された奴で十分じゃねえの」
「そりゃっそうですよ、なんでそんな」
「じゃあこれいらないか?」
「………っ」
「いらないなら俺が持って帰るが」

観念したようにがっくりと頭を下げ、蓮はそのまま無言で社長に掌を向けた。

「素直だな」

そう言うと社長はニヤリと笑い、持っていたDVDを蓮に手渡すと、ご機嫌でマントを翻し、去っていった。

「社さん…」
「なんだ」
「笑いたいのなら笑った方がいいですよ…」
「いや別に」

目を細めたまま、蓮の姿が視界に入らないようにして移動し、社は部屋にある椅子に座った。

「…この時間にCMやるはずだから、せっかくだから生で見ようよ……まぁDVDで一人で見たいのかもしれないけど」
「そんなことはありませんっ」

少し不貞腐れてきた蓮を見て、社はますます目を細め、開いているかどうかさえわからない状態になっていた。
小刻みに震える顔の筋肉を抑え、部屋にあったTVを付け、それに集中する。
蓮も無言で社の隣に座り、DVDを目の前にあったテーブルの上に置くと、なぜか腕組みをして無駄に真剣な顔でTVを眺めていた。
そしてようやくお目当てのCMがTV画面に流れ始めた。

夕暮れの学校の教室の中。
窓辺の机の上に軽く腰掛けた制服のキョーコがぼんやりと窓の外を眺めている。
少し沈んだ感じで窓の外を見ていたキョーコが疲れた様にふっと溜息をつき、どこか憂いのある伏せた瞳で囁いた言葉は

「ひどいひと…」

そのままキョーコの横顔のアップで画面が止まり、音声が切り替わる。
キョーコは徐々にフェードアウトしていき、その代わりにキョーコが居た同じ教室で歌う女性の姿が浮かび上がり、曲のタイトルと発売日が表示された。
女性ボーカルの少しアップテンポなバラード、切ない歌詞が部屋の中に響く。

(うわぁ…また見たことないようなキョーコちゃんだなぁ…女の子はホントいろいろ変わるよな…)

CMが流れ終わった後で、社がそんな事を考え隣に座っていた蓮に目を向けて見ると、再びがっくりと肩落とし項垂れた姿に気づいた。

「なにお前……なんでへこんでんの」
「なんでもありません……」

見たことのない表情で、聞いたことのない台詞を、万人が見るであろうTV画面の向こうから突きつけられ、蓮は誰にも言えない理由で一人静かに落ち込んでいた。



その頃、キョーコもオンエアされたCMを見て落ち込んでいた。

(これ……最後のあの時の……演技してない時のじゃないの……)

朝からずっと頑張ってやって来たシーンではなく、少し疲れて集中が途切れていた時の自分。
採用されたのは、うっかり出てしまった素の自分だった。
普通の自分がある意味評価されたのは嬉しくない事もないのだが、役者としての自分がそれに負けている事はとても喜べなかった。

(やっぱり私ってまだまだなんだ……)

"蓮に似合う女優"への道が、まだまだ遠いという現実を突きつけられて落ち込んだキョーコは情けないと思いつつも、夜になってから自然と蓮のマンションに足を向けてしまった。
一人、リビングで溜息をつき、部屋の持ち主の帰宅を待つ。

(敦賀さん…CM見たかなぁ……)

鋭い蓮の事だから、自分がちゃんと演技していないという事がバレているかもしれない。
そうするとあの言葉を向けた相手が誰かもバレるわけで、それは少し、というかかなり恥ずかしい。
恥ずかしいけれど、分かって欲しいような、バレてもいいのだけれど、役者としてまだまだ未熟な自分を知られるのは情けない。
いろんな想いが交じり合って落ち着かず、思わずキョーコがリビングの床の上を転げ回っていると「キョーコ?」と声が聞こえた。

「ただいま……何してるの?」
「あっ、いえ…おかえりなさいっ」

慌てて起き上がり、笑顔で蓮を迎える。
床の上に座るキョーコの目線に合わせるかのように蓮はしゃがみ込み「CM…見たよ」とぽつりと言った。

「あっ!そ、そうですか…どうでしたか……」

どんな反応をするのだろうかと心臓をドキドキさせてキョーコは蓮の次の言葉を待っていたが、蓮は一言「よかったんじゃないかな?」とだけ言って少し寂しそうに笑う。
そして、着替えてくるから、と奥の部屋へ引っ込んでいった。

「…………」

なんだか不思議な蓮の反応が気になったキョーコは一人リビングで蓮が戻って来るのを待っていた。
着替え終わった蓮は戻るなりキョーコの手を引いて立たせ、一緒にソファに座らせた。

「あ、あの……敦賀さん?」

少し沈んだ様子の蓮が気にかかり、その顔を覗き込む。
仕事先でなにかあったのだろうかと考え、心配してキョーコが話を聞こうとした瞬間。

「まだまだ…これから見せてくれるよね?」

急にキョーコの方を向いて囁かれた蓮の言葉の意味がすぐには理解できずキョーコは戸惑う。
しかし、これはやはりCMの自分に向けられた言葉だろうと考えた。

(やっぱり演技じゃないのが……バレたのかしら)

これからまだまだ自分は役者として頑張って、そして成長した姿を見てもらわないと、などと思っている間にキョーコは自分を見つめる蓮の様子が少し変わっていくのに気づいた。

それはあの夜遭遇した"彼"で───

思わず息を呑んだキョーコの腕を彼は強く掴んだ。



朝、社の前に現れた蓮は青い顔をして少しふらついていた。
だるそうに車に乗り込み、溜息をついてエンジンをかける。

「なに、お前、顔色悪いぞ」
「あ、いえ…ちょっと」
「なんだ、体調悪いのか?珍しいな…大丈夫か?」
「いや、あの、ちょっと朝から食べ過ぎで…」
「は?食べ過ぎ?お前が?」
「はぁ…」
「キョーコちゃんいたんだろ?」
「えぇ、まぁ…」
「朝から何食ったんだよ」
「えーっと…トーストと…」
「と?」
「ご飯」
「へ」
「後は……スープ各種と…具沢山の味噌汁…」
「……」
「め、目玉焼きが乗ったハンバーグとボール一杯のサラダと…」
「あぁ……その上ポテトサラダもありましたね……焼き魚もあったかも……後はもう記憶に残ってません……」
「……で、弁当がこれかよ」

社は蓮が持ってきた弁当らしき荷物がいつもよりも大きめなのを気にして中身を確認した。
何人前なのかわからない重箱が二つ。

「また重箱。しかも二つ……なにやったのお前」
「…………」
「喧嘩でもした?」
「いや、そんな事はないです……あぁ、社さんアレ持ってませんか…?」
「消化剤か…?後で俺が買って来てやるよ…」

顔色悪くハンドルを握る蓮に、徐に社は口を開く。

「あんまり突っ込んだ事は聞きたくないけどさ………なんだ、その、あんまりアブノーマルな事は」
「そっ、そんな事はしません!」
「そうか…?まぁならいいんだけど…。あんまり無茶するなよ~。キョーコちゃんがこんな事するなんてよっぽどじゃないの?」
「…………」
「弁当はまた俺が手伝ってやるよ。キョーコちゃんのは旨いからな」
「お願いします……」

キョーコの全てを手に入れるためには後どれ位食べまくればいいのだろうか、と思った蓮は初めて父親のあの特質が羨ましいと思った。




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